信じたくない?女の浮気性

ある本には「彼に浮気をさせないための″予防線の張り方″」という項があり、作者自身、「男性は浮気性です」と断言して、多くの子孫を残すためという例の進化論にも言及しているのだが、女性の浮気についての項は設けられていない。

また別の本でも、男の浮気や浮気性の男の話はあるが、女の浮気は語られない。

さらに別の本では、「男の方が浮気をしたがる理由」とともに「女性が浮気をしたくなるのはいつ?」との項はあるものの、女性は排卵直前に浮気するというイギリスの調査結果をもとに説明しているだけだ。じゃあ、閉経後の女性の浮気は、どうなる?

ある熟年プレイボーイの相手は。もっぱら閉経後の人妻たちらしいのだが、彼いわく、「女性は、生理がなくなったら(つまり妊娠の心配がなくなったら)、そりゃ楽しく遊べるようになりますよ」

もちろん、女性のほうも、そんな年齢になっても誘ってもらえるという前提条件をクリアしなければならないが。そのためにも「一生、そこそこモテる」必要があるだろう。

おそらくこういった本の作者の場合、女性の浮気について、とくに資料も材料となりうる実体験も、持ち合わせていないのではないか。作者自身、女性は浮気しない、浮気するのは男のほう、という古典的な思い込みがどこかにあるのか、あるいは女性の浮気に興味がないのか、ひょっとしたら現実を知るのが(女性恐怖症になりそうで)怖いのかもしれない。

たしかに女性の浮気についての「資料」は少ないだろう。男性とは異なり、「甲斐性」どころか、ときには「罪」とみなされた女の浮気は、巧みに隠されなければならなかったという「伝統」がある。

とはいえ、男の浮気相手が皆、夫も恋人もいないオトコ日照りの女とは考えにくいではないか。それどころか、妻や恋人を裏切ってまで付き合いたい相手は、それなりに魅力的である可能性が高く、そんな素敵な女性がそれまで他の男性から放っておかれたはずがあろうか。つまり「浮気相手もやっぱり浮気」である確率は高いと推測されるのだ。

そんな女の浮気を疑っている夫は意外と少ないものなのであるが、もしも妻の行動に疑問を感じるようなことがあれば、このサイトの浮気の証拠を掴む方法を参考にして、真実を突き止めてみてはいかがだろうか。参考サイト 妻 浮気

結局は男も女も何かきっかけがあれば浮気する生き物なのかもしれない。

 

カテゴリー: 未分類

変身願望のために浮気する女

私の知人に、もしかして「変身願望」を満たすために浮気した? とおぼしき熟年人妻がいる。

久しぶりに会ったとき、どう考えても身分不相応なアクセサリーをつけ、衣服にも金がかかっていそうで、しかも年齢のわりに美しく輝いていたので、これは何かあるなと思ったら、やっぱりあったのだ。

不倫相手はリッチな医者。デートの場所は、絶対にサラリーマンの夫が連れて行かない高級料亭や高級クラブ、そしてときには海外旅行へ。同伴中、彼女は院長夫人のフリをし、そのために必要な衣装や装飾品を買ってもらい、新しい世界の新しい自分に酔っているようだった。

平凡な中流生活に退屈している専業主婦の前に、こんな「シンデレラマダム」になるチャンスが現れたら、飛びつく者も少なくないのではないだろうか。あくまで目的は「変身」で「浮気」じゃないけれど、まあ大人の世界なのだから、前者に後者が負のオマケとして付いてくるのなら、それも仕方がない、と妥協する女性もいるだろうと思う。

どうせ「シンデレラ」は定刻になれば、何喰わぬ顔で元の生活に戻るんだし、誰にも気づかれないんだから、いいじゃない? と。

しかし女性の「変身願望」を叶えるには、金がかかる。この点からも、財力のある男性がモテるのは当然なのだ。

「社会階層における地位の高い男ほど妻を寝取られにくく、しかも自分は他人の妻を寝取る側に回る。そのターゲッ卜はたいていは地位の低い男の妻なのである」とある。

もちろん何事にも例外はあるもので、チャールズ英皇太子妃たったダイアナだって、ちゃんと浮気した。もちろん相手は自分の夫より地位の低い男だ。(まあ、英皇太子より地位の高い男を見つけるのは至難の技だろうけど。もしかしてアメリカ合衆国大統領なら合格だった?)

浮気相手の男性の財力をあてにしなくていいダイアナ妃や、いわゆる有閑マダムたちはともかく、そうでない女性にとっては。地位の高い男性は魅力的に違いない。社会的地位の高さはふつう収入の高さを保証すると思われている。(例外は「大学教授」だ。医者や弁護士と社会的には並べられることが多いが、収入ははるかに下回るので誤解しないでいただきたい。)

また、自分たちの日常社会とは異なった(ランク上のソサイエティに連れて行ってもらえる、という期待もあるだろう。「シンデレラ」は、「宮殿の舞踏会」へ行きたいのだ。たとえ一時のバブルドリームでも。

女性がもし、優秀な子孫を残したくて浮気をするのなら、現代日本において、「少子化」問題は起こっていないだろう。

しかしながら、(少なくとも)現代日本女性の浮気願望は、そのように生産的ではなく、より消費的なのだ。

たとえクジャクの羽根をつけて喜んでいるカラスにすぎなくても、クジャクのフリをしてみたいカラスはいるのだ。それにブランドショップは「カラス」に「クジャクの羽根」を売ってくれる。そんな消費大国でわれわれは生まれ育ったのだ。

 

カテゴリー: 未分類

認知度の低い「分散恋愛」

私としては、「分散恋愛」は面白い発想だと思うし、(新しいかどうかはともかく) これまで語られなかった男女の付き合い方に、新しい名称を考え出した積極性には感心している。

だが「分散恋愛」という言葉は、ヒッ卜しなかった。女性誌でも『SAY』が、「誰でも一度は必要な時がある 分散恋愛という処方箋」として、七ページの特集を組んだだけだ。しかも内容は、『分散恋愛』のレジュメに、数人のコメントが加わった程度。

分散恋愛する女性の四タイプとして、①(恋愛で痛手を負ったことのある)トラウマ型、②(「本命」では満足できない)愛情補足型、③自由奔放型、④人生欲張り型が挙げられているのも、新畸の本からの引用だ。この分類はよくできているが、肝心な前提が抜けている。分散恋愛をするには、まず複数男性にモテなければならないのだ。

これこそが、この言葉のヒッ卜を妨げた大きな理由だろう。だってひとりの相手を見つけるのにも大騒ぎしたり、「彼氏いない歴○○年」などというフレーズもよく囁かれる時代に、いったいどうしたら複数男性にモテるのだ! と、同性たちに反感を抱かれても仕方あるまい。「うらやましい」というか、「厚かましい!」と、妬み、嫉み、恨みの対象として、「分散恋愛」なる言葉は「シカト」されたと私は想像する。

人の心というものは変わりゆくものなので、こんな分散恋愛の考え方といえど、トップレベルの男と出会ったとしたのなら、簡単に変更されかねないのも事実である。要するに、彼女らにも、それはどの相手と知り合うチャンスがなかったのか (あるいは理想が高すぎるのか)もしれない。

それとも、そんな人生に一度あるかないかわからないような白い馬に乗った王子との出会いを待って、時間を無駄にするよりも、こま切れのハートの寄せ集めが、手っ取り早くてリスクも少ない。

そうよ、ヘタなサーロインよりも、ハンバーグステーキのほうが美味しいってこと、あるでしt上に目玉焼きをのせてくれれば、なんとなく幸せになるしね、と。

そう、分散恋愛者は、とても慎重で、かつ現実的なのだ。だから、ちゃんと本の後半部分には、このような注意書きがある。「この本の内容は、不貞を奨励するものではありません。すべては自己の責任において行動するようにしてください」。

いくらPL(製造物責任)法の時代だからって、執筆者がなにもそこまで気を使う必要はないだろうに。

ともかく、本人は浮気ではなく「分散恋愛」と言っても、やっていることは(人から見れば)浮気と同じなのだ。(「売春」を「援助交際」と言い換えても、その「行為」は同じなのだ。)なのになんとか別の言葉を考え、「説明責任」もないのに一所懸命に一分散浮気」にすぎない交際を、「分散恋愛」として弁護する。それほどに自己正当化が必要なのは、著者が真面目で、繊細な神経の持ち主であるためだろう。

浮気なら浮気でいいじゃない! 私、女の賞味期限が切れるまで、人生を楽しみたいの。仕事も頑張りたいし。だから、ひとりの男に振り回されたくないのよね。それにモテる女に男たちが寄って来るのは宿命よ。だから、彼らと付き合うの。もし、誰かにフラれたって、ダメージも少なくて済むし。これって、オシャレでしょ! とまあ、分散恋愛者には、このくらいの心意気を求めたい。

もちろんモテない同性からは「地獄に堕ちろ!」と冷たい目で見られるに違いないが、それも「女の勲章」だろう。恋愛において必要なのは自己正当化ではなく、競争力と危機管理能力なのだ。

 

カテゴリー: 未分類

分散恋愛

『分散恋愛』という本が出版された。副題は「複数の男性と恋愛を楽しむ生き方」とある。著者の新崎ももは、メールマガジンに「分散恋愛」というエッセイを発表して読者の共感を得、彼女らの手記や相談を取り上げて、このテーマで一冊にまとめたのだ。

「複数」よりも「分散」のほうが、恋愛形態がより明白になる。「自分の心と身体が元気でいられるために複数の男性を自ら選ぶ」のだが、前述のように奇妙な掛け算になる理屈ではなく、自分の恋を「分散」させるというのである。つまり、自分のハートを分散して複数の男性に与え、また彼らからハートのかけらをもらうと、つぎはぎながら一つの立派なハートが完成し、心が満たされるという理論なのだ。

そこでこの「分散恋愛の掟十ケ条」は次のようなものだ。

 

①相手を束縛してはいけない
②相手から束縛されてはいけない
③心と心のつながりがなくてはならない
④デートのときは相手だけを見つめる
⑤お金は持っている方が出す
⑥相手の私生活に踏み込まない
⑦相手を私生活に踏み込ませない
⑧主導権を相手に握らせない
⑨自分の時間を大切にする
⑩毎日を幸せな気持ちで過ごす

 

この掟から推測できるのは、物理的にも精神的にも自立した女性でなければ、分散恋愛は無理ということだ。もちろん「アナタの色に染まりたい」とか、「アナタがすべて」といった演歌調の言葉に酔うタイプにも向かないだろう。

逆に言えば、仕事を持ち、自分の趣味や好みをはっきり知り、楽しむことに貪欲な女性にとっては、「分散恋愛」というこの交際法が、もっとも好都合のはずである。「自立して生きていくためには、一人の男に依存してはいけないのです」と説いている。

たとえば忙しくても仕事に生きがいを感じているライフスタイルにおいて、重たい恋愛関係は負担である。毎日メールや電話をもらうのも、うっとうしいし、ましてやそのようにまめな連絡を望む男性は願い下げ。『ベルサイユのばら』じゃあるまいし、愛や恋だけで地球が回っているわけじゃないのだ。

また、「分散恋愛」が「浮気」と異なると断言する。まあもともと「本気」と「浮気」の線引きができないような交際なのだけど。なにしろ「自分の空いた時間にだけ会える便利な男を調達する」のだとか。そして複数男性と付き合う意義を、さらに次のように説明する。

「短時間でエネルギーをもらえるような男でなければ付き合うことはしません。しかも、一人からではエネルギーが不足するため、複数の男性とうまく恋愛をするのです。」

こうなると「分散恋愛」というより「パートタイムーラブ」なんてシャレだほうが合うような気がする。

カテゴリー: 未分類

複数恋愛は「浮気」じゃない?

『an・an』は、「複数恋愛」のまるでお勧め記事になっていった。

見出しは「一人の彼じゃ満足できない! 複数恋愛って、イケないことですか。」で、作家を囲んで、複数恋愛を実践する女性たちの座談会が、四ページにわたって続くのだ。

小見出しにしても「異なる世界の男たちと会い、複数愛で自分を磨く!」と前向きだし、だいいち、浮気をしているという自覚もなかったりするのだ。いわく、「女の複数恋愛は浮気とは違うもの。気持ちを分割したりできないから。それぞれが100%の恋なんです」。

これって、すごい発想だが、次のように座談会では語られる。

B子 「でも、浮気とは違う?」
作家 「だから、男性なら100ある気持ちを人数分で分割するから浮気だけれど、女の子は100が増えていくだけなのよね。」
A子 「そう、それはそれできちんと恋愛してますから。」
梅田 「スイッチが切り替わるように、会う人会う人で100%なのね。」

早い話が、男性の複数恋愛は「割り算」になるのに対し、女性の場合は「掛け算」になるとのことなのだ。

まったく何の根拠もない議論なのだが、複数恋愛実践女性にとっては結構、心強い仮説である。

この記事の最後をしめくくるのは梅田みかが教える「複数愛成功のための6つの掟」だ。

要点をまとめると。次のようになる。

1 他の男性の気配を感じさせないように、デートの前には全身、持ち物、携帯履歴を総チェック。
2 複数男性を独占する以上、女性には嫌われることを覚悟する。
3 それぞれの男性との意思の疎通や、完璧なスケジュール割りを組むには、まめさが必要。
4 バレても絶対に認めないことが相手への優しさである。
5 複数恋愛に自分が向かないタイプなら、楽しめずに罪悪感やストレスに悩むだけなので、やめる。
6 いつまでも周りに男性がいるわけではないので、年齢とともに引き時を意識し、自分磨きを怠らない。

この「掟」で注目すべきは、複数恋愛向きの女性と、そうでない女性がいるということだ。(そしていくら「浮気じゃない」と否定しても) これすなわち、楽しんで浮気のできるタイプと、浮気をしたくない(あるいはうっかり浮気をすると苦しむ)タイプにそれぞれ対応するのだろう。

この記事の四ヵ月後、『MORE』も、「複数恋愛にはまる女たち」を六ページの特集記事として掲載している。「『二股、三股でいろんな男性のおいしさを一度に味わいたい』そんな欲張りな女性が急増中」とある。また「複数恋愛経験率58%!」と、信憑性に問題のありそうな「読者100人」のアンケート結果も発表した。

いかにも複数恋愛が最近の女性の新しい恋愛スタイルといわんばかりの切り口なのだけれど、いやなに、マスコミが以前は話題にしなかっただけじゃないのだろうか。

つまり、女性誌といえども、マスコミの体質は案外古く、男性の編集者が中心となって、男性の感性で、つくられてきたという事情があったはずだ。彼らにとっては、「二股」くらいまでなら「恋愛相談」のネタとしては理解できただろうが、それ以上の数の男性と楽しんで付き合う女性の存在なんて、考えられなかったのではあるまいか。

しかし今は元気な女性たちが、雑誌編集に加わっている。記事も、より女性の実態に即したものになりつつあるのかもしれない。

『MORE』のこの記事にも、実践者たちが登場して対談形式で事情が語られてゆくのだが、罪悪感は、ほとんどなさそうである。たとえばセックスについても「エステに行くようなもの」と、言い切ったりする。その程度の行為で、「特別なもの」ではないから、特定の男性ひとりだけとの付き合いと限る必要もないのだ。

考えてみれば、男性にとっても、「フーゾク」が世の中に存在する限り、セックスはある種の風呂やマッサージの類であることを否定しきれまい。もちろん、自分はそんないかがわしい所には行ったことがないと、胸を張る男性もいるだろうが、それだってはたして自慢できることかどうかI単にセックスにカネを払うのがもったいないだけかもしれない。(今の四十代以上に限って言うなら、私の知る限り、本当のモテ男は適当にフーゾクで遊んだ経験もある。ただ決してそれにハマリはしないが。)

 

カテゴリー: 未分類

「複数恋愛」五つのルール

さてここでは、「複数の彼とつき合うため」の、次のような五つのルールをみてみよう。

①たとえ本命であっても、自分の部屋には男性を入れないこと
②SEXの時は、必ず避妊をする
③もしバレたときは、絶対にシラをきる
④手近なところで間に合わせない(つまり男性同士が知り合いではないこと)
⑤もうひとりの男性のテリトリーと思われる場所に.デート中に近づかないこと

⑤の場所については、あまり心配する必要はないと思われる。というのも、男性はわりに立ち回り先がワンパターンだから、そのテリトリーもはっきりしているのだ。

いっぽう女性は新しい店や珍しいメニューが大好きだし、ふつうは相手の男性の行動範囲に入ってゆくものだ。大都会なら、男たちが同じ店の常連ということも、ほとんどないだろう。(まあ財界の熟年紳士なら、揃って老舗ホテルのクラブメンバーや株主だったりするのだ
けれど。)

つまりここに、複数恋愛の醍醐味があるのだ。女性にとっては、男性の数だけ、行動範囲が広がり(つまり見聞を広め)、新しい体験の可能性があるのだ。

だが男性は、たいていの場合、女性を自分の世界に連れ込むので、相手が変わっても、テリトリーは同じだし、料理のメニューにも目新しさはないのである。

「an・an』のケースを見てみよう。

昔から、インモラルな記事は『an・an』の得意分野だった。世間は「アンノン族」などという呼称で、『an・an』と『non・no』の読者を、ひとからげにして考えたが、両者は全然違うのだ。

まず『an・an』は、そもそも『ELLEJAPON』という役割を担って出発してきただけあって、ファッションんも恋愛もフランス的。オシャレだが、危険な香りのするページを提供してくれた。

いっぽう『non・no』は、母親に見られても安心な雑誌だった。ファッションにしても、親が喜んで買ってくれそうな(ちょと野暮ったくて)無難なデザインが多かった。見合い後のデートには、ちょうど良さそうな類だ。

この『an・an』のアブナイ伝統は、『ELLE』と縁を切っても受け継がれ、近年では「複数恋愛」についても善(?)戦しているようだ。

「だってひとりに決められない、複数恋愛のすすめ。」との見出しとともに、体験者の座談会や読者アンケート、女性脚本家のエッセイなどが、四ページにわたって掲載されている。

ひょっとしたら「複数恋愛」という用語がマスコミに登場したのは、これが最初かもしれない。またベストセラーになった『負け犬の遠吠え』で使われている「恋愛体質」なる言葉も、すでにこの記事中に見られる。(私としては、「体質」というより「性」のほうがよくわかる気がするが。)

ただしそれ以外、とりたてて注目すべき内容は見当たらないのだが、「他人から見れば、単なる「尻軽女」? 勘違いし続ける、自称複数恋愛中の女たち」との厳しい指摘もある。

まあ、遊んでいるつもりが遊ばれているだけといった批判は、モテ女にはいつもつきまとうが、それでもモテないよりはマシと、当人は思っているだろう。あるいは、「それってモテない女のヒガミでしょ」と、鼻であしらっているかもしれない。

雑誌編集サイドとしては、このような辛口意見を載せることで、モテない読者の機嫌をとり、逃がすまいと気をつかっているのだったりして。

さてこの半年後の『an・an』でも、再び「複数恋愛」登場。不倫、略奪愛、複数恋愛を取り上げ、「最初から悩みと苦しみが伴うことは必至である3つのドラマティックな恋愛」とのスタンスだから、「リスクヘッジ」などと割り切っているサバサバとした明るさとは異なり。トーンも低い。だが、恋愛の世界では、「複数恋愛」の言葉も実態も。すっかり市民権(?)を得た感じだ。

 

カテゴリー: 未分類