認知度の低い「分散恋愛」

私としては、「分散恋愛」は面白い発想だと思うし、(新しいかどうかはともかく) これまで語られなかった男女の付き合い方に、新しい名称を考え出した積極性には感心している。

だが「分散恋愛」という言葉は、ヒッ卜しなかった。女性誌でも『SAY』が、「誰でも一度は必要な時がある 分散恋愛という処方箋」として、七ページの特集を組んだだけだ。しかも内容は、『分散恋愛』のレジュメに、数人のコメントが加わった程度。

分散恋愛する女性の四タイプとして、①(恋愛で痛手を負ったことのある)トラウマ型、②(「本命」では満足できない)愛情補足型、③自由奔放型、④人生欲張り型が挙げられているのも、新畸の本からの引用だ。この分類はよくできているが、肝心な前提が抜けている。分散恋愛をするには、まず複数男性にモテなければならないのだ。

これこそが、この言葉のヒッ卜を妨げた大きな理由だろう。だってひとりの相手を見つけるのにも大騒ぎしたり、「彼氏いない歴○○年」などというフレーズもよく囁かれる時代に、いったいどうしたら複数男性にモテるのだ! と、同性たちに反感を抱かれても仕方あるまい。「うらやましい」というか、「厚かましい!」と、妬み、嫉み、恨みの対象として、「分散恋愛」なる言葉は「シカト」されたと私は想像する。

人の心というものは変わりゆくものなので、こんな分散恋愛の考え方といえど、トップレベルの男と出会ったとしたのなら、簡単に変更されかねないのも事実である。要するに、彼女らにも、それはどの相手と知り合うチャンスがなかったのか (あるいは理想が高すぎるのか)もしれない。

それとも、そんな人生に一度あるかないかわからないような白い馬に乗った王子との出会いを待って、時間を無駄にするよりも、こま切れのハートの寄せ集めが、手っ取り早くてリスクも少ない。

そうよ、ヘタなサーロインよりも、ハンバーグステーキのほうが美味しいってこと、あるでしt上に目玉焼きをのせてくれれば、なんとなく幸せになるしね、と。

そう、分散恋愛者は、とても慎重で、かつ現実的なのだ。だから、ちゃんと本の後半部分には、このような注意書きがある。「この本の内容は、不貞を奨励するものではありません。すべては自己の責任において行動するようにしてください」。

いくらPL(製造物責任)法の時代だからって、執筆者がなにもそこまで気を使う必要はないだろうに。

ともかく、本人は浮気ではなく「分散恋愛」と言っても、やっていることは(人から見れば)浮気と同じなのだ。(「売春」を「援助交際」と言い換えても、その「行為」は同じなのだ。)なのになんとか別の言葉を考え、「説明責任」もないのに一所懸命に一分散浮気」にすぎない交際を、「分散恋愛」として弁護する。それほどに自己正当化が必要なのは、著者が真面目で、繊細な神経の持ち主であるためだろう。

浮気なら浮気でいいじゃない! 私、女の賞味期限が切れるまで、人生を楽しみたいの。仕事も頑張りたいし。だから、ひとりの男に振り回されたくないのよね。それにモテる女に男たちが寄って来るのは宿命よ。だから、彼らと付き合うの。もし、誰かにフラれたって、ダメージも少なくて済むし。これって、オシャレでしょ! とまあ、分散恋愛者には、このくらいの心意気を求めたい。

もちろんモテない同性からは「地獄に堕ちろ!」と冷たい目で見られるに違いないが、それも「女の勲章」だろう。恋愛において必要なのは自己正当化ではなく、競争力と危機管理能力なのだ。

 

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